こんにちは。芸艸堂(うんそうどう)です。
浅野竹二「嵯峨之竹藪」に続き数十年振りに再版した版画の紹介です。
浅野竹二「木屋町」Kiyamachi ,KYOTO
京都に生まれた浅野竹二(1900-1998)は、京都市立絵画専門学校で日本画を
専攻、途中油絵に手をそめましたが、再び日本画に復帰、土田麦僊の率いる
「山南塾」に入塾し、国画創作協会展に出品するなど日本画家として活躍しま
した。31才ころより木版画の制作をはじめ、小林清親の「東京名所」に触発
され日本各地の名所や行事などを題材にした「名所絵版画シリーズ」を手がけ、
一方で自由な表現のもとに創作版画を制作しました。芸艸堂版は昭和20年後半
より版行をはじめ、多くの作品を発表。従来の浮世絵版画と同様に、絵師、彫師
摺師による分業により制作し、浮世絵の近代化、復興を目指し「新版画」と呼ば
れています。当時摺られた版画(初摺り)は海外などで高値で売買され、近年は
日本でも再評価されています。
今回の木版画は初版が1953年、最後の重版が1971年でした。
木屋町の版画用原画
版木に付いていた校正摺
何種類か摺られ全体が原画に近い色から明るく摺ったものまで再版の都度、
色表現を変え販売の様子を伺っていました。
版元企画の木版画は原画から版画で再現する時に絵師と相談しながら色を修正します。
(北斎の「神奈川沖浪裏」も摺られた年代で色が全て違い、現在も初摺の色は確定していません。)
今回の再摺りは原画と版木に付いていた校正摺を参考に摺り上げました。
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浅野竹二「嵯峨之竹藪」に続き数十年振りに再版した版画の紹介です。
浅野竹二「木屋町」Kiyamachi ,KYOTO
京都に生まれた浅野竹二(1900-1998)は、京都市立絵画専門学校で日本画を
専攻、途中油絵に手をそめましたが、再び日本画に復帰、土田麦僊の率いる
「山南塾」に入塾し、国画創作協会展に出品するなど日本画家として活躍しま
した。31才ころより木版画の制作をはじめ、小林清親の「東京名所」に触発
され日本各地の名所や行事などを題材にした「名所絵版画シリーズ」を手がけ、
一方で自由な表現のもとに創作版画を制作しました。芸艸堂版は昭和20年後半
より版行をはじめ、多くの作品を発表。従来の浮世絵版画と同様に、絵師、彫師
摺師による分業により制作し、浮世絵の近代化、復興を目指し「新版画」と呼ば
れています。当時摺られた版画(初摺り)は海外などで高値で売買され、近年は
日本でも再評価されています。
今回の木版画は初版が1953年、最後の重版が1971年でした。
木屋町の版画用原画
版木に付いていた校正摺
何種類か摺られ全体が原画に近い色から明るく摺ったものまで再版の都度、
色表現を変え販売の様子を伺っていました。
版元企画の木版画は原画から版画で再現する時に絵師と相談しながら色を修正します。
(北斎の「神奈川沖浪裏」も摺られた年代で色が全て違い、現在も初摺の色は確定していません。)
今回の再摺りは原画と版木に付いていた校正摺を参考に摺り上げました。
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